飛鳥旬プロデュース

飛鳥旬のプロフィール

■リバウンドまでの経緯
・1961年  大阪生まれ
中学2年の時に母親を亡くして初めてアトピーを発症。
成人型アトピーと診断される。

・1977年 16歳
大阪市内の私立高校に進学。野球部に入部。
好きな野球に打ち込む一方、アトピーは次第に悪化。
食生活はかなり不規則。部活後は炭酸飲料をガブ飲みしていた。
医者から処方されたクスリを塗っていればそのうち治ると安易に考えていた。

・1980年 19歳
大学受験を機にアトピーも悪化する。それでも入学後、症状はしばらく落ち着いていた。
ステロイドで症状をコントロールしている限り、日常で大きな支障は無かった。
でも、この頃からアトピーが単なる皮膚の病気でないことにも薄々気付き始めていた。

・1984年 23歳
就職を機に症状が悪化。
熟睡できない夜は抗ヒスタミン剤や抗アレルギー剤を飲んでいた。
この頃からクロレラを飲み始めたが効果は無かった。

・1986年 結婚
相変わらずステロイドによるコントロールが続く。
年間120日を越える出張&不規則な生活習慣でアトピーがさらに悪化。
この頃、「毒だし茶」と言われるお茶にはまっていた。

・1988年 27歳
アトピーが顔に出る。これを機にストレスが蓄積される。
もう皮膚科ではアトピーを治せないと思い、民間療法を手当たり次第試してみる。
「アトピーに効く!」と言われる健康食品を買い漁るようになった。

・1989年 28歳
「超少食療法」で有名な大阪八尾市の病院を訪ねる。
「西式健康法」を基本に、アトピーをはじめ頑固な慢性病の治療に実績を残していた。
「これだ!」「今度こそ間違いなく治る!」と確信した。

が、1ヶ月で挫折した。
「超少食療法」を実践できなかった。会社に勤めながらこの療法を続けるのは無理だった。
「今回もまたダメだった・・・・」期待が大きかった分だけ挫折感もピークに。
この時点では、もう自他共に認める「アトピーの人」になっていた。

・1990年 29歳
民間の漢方薬局による療法を開始。
「ステロイドの悪い毒を出し切ればアトピーは治る!」との勧めからステロイド離脱を決行。
「応援するから一緒に頑張ろう!」と励まされ、ステロイドを一気に止める。
保険の効かない高額な漢方薬を飲み続けるが一向に効果無し。
「好転反応です。」の連続にウンザリ。

■リバウンド後の経緯
・1991年 30歳
リバウンド経験。全身からリンパ液が流れ出す。首を左右に曲げることさえ出来ない。
高熱を発してまったく身動きが取れなくなり、近所の病院に駆け込む。
掻き壊した傷口から黄色ブドウ球菌が血管に侵入し、菌血症を起こしていた。
抗生物質の点滴を受け、何とか小康状態を取り戻す。

・同年 2月
アトピーの状態が酷すぎるため京都のT病院に緊急入院。
ここでの体験がその後の完治までの礎となる。
当時の主治医(現在の理事長)は開口一番、
「アトピーは自分で治す病気」「病院はスタッフ全員でフォローをする」と説明を受ける。
この一言で、他人依存型だった私の考え方が変わる。

・同年 4月 職場復帰
根治療法スタート。自分流の生活習慣の改善プログラムを作成。

・1992年
アトピーは良くなったり悪くなったりを繰り返しながら確実に改善する。
体からアトピーが消える。6月には慰安旅行のハワイで数年ぶりに半袖のシャツを着る。
それでも肩と首、顔のアトピーは残っていた。

・1993年 4月
念願だった肩と首のアトピーが消える。
6月、遂に顔のアトピーが消える。(しぶとかった左の額部分も完全に消える)
この年、何度か「ヤバイ!」と思う瞬間があったが事前に回避できた。
心配していた首と顔の色素沈着もキレイに消える。

・1995年 10月
会社を離職。農業に従事する。無農薬の野菜・コメ作りを体験。

・1997年  7月
サラリーマンに復帰。現在まで、アトピーの再発はなし。

■その後
・2003年 1月
自己の克服体験、「アトピー完治への道!」をネット上に公開。
同時に、メルマガ第一弾「アトピーを段階的に改善するワンポイント講座」を配信。
これ以後、全国の読者からメールが殺到。年間の相談メールが1000件を超える。
アトピーで苦しんでいる人が、たくさんいる事を痛感する。

・同年 10月
メールマガジン第二弾「告白!体験者が明かすアトピー克服の鉄則!」を配信。
創刊号に6500人の読者が集まり、メルマガ配信スタンドまぐまぐの新着ランキング1位に登録される。

■妻と子供の4人暮らし。
■年齢 56歳
■住居 奈良県
■好きな食べ物 お寿司・ワンタン・バナナジュース
■趣味 散歩・瞑想・茶道
■特徴 酒、たばこはしません。
■尊敬する人物 ゴータマ・ブッタ